賢者の石のお話

中世のヨーロッパやイスラム世界では、錬金術が広く信じられ、多くの学者によって研究されていました。
錬金術とは、簡単に言えば、鉄や銅といった他の金属から金を生成する方法を探究する学問です。現代の視点から見れば、鉄が黄金に変わるはずもなく、ただのインチキ学問にしか思えないかもしれません。しかし、当時は、高名な知識人や学者までが真面目に錬金術の可能性を追究していました。今で言うなら、物理学者のスティーヴン・ホーキング博士のような人物まで、錬金術に手を染めていたのです。

そして、あまたの錬金術師たちが求めて止まなかったものが、“賢者の石”と呼ばれる触媒でした。彼らは、“賢者の石”に触れることで、あらゆる金属が黄金に昇華する、と信じていたのです。“石”と表現されていますが、その姿は一般的に考えられる石の形に限定されるわけではなく、「粉状である」と唱えた者もいれば、「液体である」と主張した者もいます。“賢者の石”はまた、不老不死の霊薬である“エリクサー”とも同一視され、人間に無限の生命、永遠の若さをもたらす、とも信じられていました。

数え切れないほどの錬金術師たちが、どうにかして賢者の石を生み出そう、見つけ出そう、とたゆまぬ努力を続けましたが、「発見された」という記録は存在しません。しかし、その研究過程で人々の物質に対する理解が進み、錬金術は現代化学の母体の1つとなりました。現在魔術と呼ばれる体系の中にも、錬金術の発想は脈々と受け継がれています。

錬金術の思想的源流は、古代ギリシアにまで溯ります。有名なアリストテレスを始め、ギリシアの哲学者たちは“汎神論”といわれる考え方を持っていました。“汎神論”とは、「森羅万象のことごとくにあまねく神が宿る」という思想のことです。
彼らは、生命あるものの中で至高の存在が神であり、物質の中で至純の存在が金である、と考えました。とりわけアリストテレスはこの世のあらゆるものをピラミッド型に並べ、その頂点に神を君臨させたのです。
この思想に従えば、人間は(動物も)同じく生命である以上、神と同じカテゴリに属すことになります。すなわち、人間も動物も修錬を積むことで神に近づくことができ、物質はすべて金に変化する可能性を秘めているわけです。

中世の錬金術師たちは、黄金以外の金属は、不純な要素を含んでいるから金たり得ないのであり、不純物を取り除いていけば、すべからく金になることができる、と述べ、さまざまな実験を行いました。その触媒として、卵の殻を粉末状にしたものを用いていたりもしています。卵が孵化して生物が産まれることから、その殻を活用すれば、物質から黄金を孵化させることができる、とまことしやかに信じられたのです。

もちろん、最高の触媒として考えられたものこそ、“賢者の石”にほかなりません。卑金属を最高のものである金に変えることができるのであれば、当然、人間を不老不死にすることだってできるわけです。不老不死とは、神の性質の一部なのですから。
やがて錬金術師たちは、“賢者の石”を生み出すためには、みずからを鍛練することが欠かせない、と考えるようになりました。究極において、錬金術とは人間が神の領域に到達するための道となったのです。

同じような発想は洋の東西を問わずに存在するもので、中国では“仙道”と呼ばれる思想が知られています。
中国の人々は、人間は修業を積むことによって仙人になることができる、と信じました。仙人もまた不老長寿の存在であるばかりか、さまざまな奇跡を起こすことができ、人間を超越しています。ちなみに、道教では、人間は死ぬと鬼(日本で言うところの幽霊です)になり、その中でも魂の格の高いものが神になる、とされていて、仙人は神よりも位が高いのです。人が生きたままより高位の存在になるのは、それほど困難なことだ、と思われていたのでしょう。

そんな中で、仙人になるための近道と考えられていたのが、“仙丹”と呼ばれる薬です。『西遊記』などのフィクションにも、天上界にある宝物として登場します。この“仙丹”を日々服用することで仙人になれるのですから、ヨーロッパの“賢者の石”と発想を同じくしていると言えるでしょう。また、“仙丹”をつくり出す術として錬丹術というものが信じられていましたから、これも錬金術によく似ています。

錬金術は擬似科学であり、同時に哲学の潮流の中に位置するものでした。
賢者の石を英語で表記すると、“Philosopher’s Stone”になりますが、“Philosopher”とは本来「哲学者」を意味します。錬金術の根底に哲学的思想が流れていたことは明らかでしょう。
哲学=“Philosopy”という単語は、もともと「知を愛すること」を意味します。古代からヨーロッパでは、知恵を磨くことによって、人間は高みに昇ることができる、と考えられていたのです。

アリストテレスより後の時代、同じギリシアの哲学者であるエピクロスは、「人生の目的とは、“愉快”を得ることである」と説きました。彼の言う“愉快”とは、「面白おかしい」という意味ではなく、「何事に接しても心の平穏を保つことができる境地」のことです。彼はこの境地を“アタラクシア”と名づけました。

西洋占星術やタロットカードの思想には、錬金術の世界観が強く反映されています。たとえば、どちらの占術でも、世界をかたちづくる四大元素は “地” “水” “火” “風” ですが、この思想は元来錬金術、そして、古代の哲学に由来するものです。
もしも人が感情に流されることなく、冷静に世界を観察し、遭遇するさまざまな出来事に適切に対処することができるなら、生きることはもっと幸せなものになる、と思わないでしょうか?
無論、人間は感情を持つ生き物であり、感情があるからこそ人生は楽しい、とも言えます。

感情に流されて、失敗した時。感情に押し潰されて、生きていることが苦しくなった時。
そんな時は、占い師を頼ってみてください。
“賢者の石”の背景にある叡智を、占い師たちが現代に引き継いでいるのです。