ある時期から、私は「死」について考えるようになった。
きっかけは、自分自身の病気だった。
私は卵巣腫瘍を何年も体内で育てていた。
それは境界悪性腫瘍へと進行し、かなり危険な状態になっていた。
ところが、その腫瘍は信じられないようなタイミングで発見された。
あと少し遅れていたらどうなっていたのか。
今となっては誰にも分からない。
私は手術を受け、右卵巣を摘出した。
そして命を取り留めた。
病気を経験すると、多くの人はこう考える。
「なぜ私が病気になったのだろう?」
私も考えなかったわけではない。
しかし、それ以上に私の中に残った疑問があった。
「なぜ私は死ななかったのだろう?」
という問いだった。
もちろん、医学的な説明はいくらでもできる。
たまたま発見された。
たまたま間に合った。
たまたま運が良かった。
それで終わらせることもできる。
しかし私は、その「たまたま」が気になった。
なぜそのタイミングだったのか。
なぜ間に合ったのか。
なぜ私は今ここにいるのか。
その頃の私は、まだ占い師ではなかった。
だから占いに興味を持った理由は、
未来を知りたかったからでも、
不思議な世界に憧れたからでもない。
もっと単純だった。
私は知りたかったのだ。
人生には本当に偶然しか存在しないのか。
それとも、何か別の法則があるのか。
そんな時、私は占星術に出会った。
そして思った。
もしかすると星は何かを知っているのではないか。
もちろん、星が病気を治すわけではない。
人生を代わりに生きてくれるわけでもない。
だが、人が生まれる瞬間の空を記録したものの中に、
人生を読み解く手がかりが隠されているのかもしれない。
そう思った。
それから二十年以上が過ぎた。
今でも私は、
「なぜ私は死ななかったのか」
という問いに完全な答えを持っているわけではない。
しかし、ひとつだけ思うことがある。
人は死を特別なものとして語る。
けれど私は、生の方がよほど特別だと思っている。
死は誰にでも訪れる。
だが、生まれてくること。
生き延びること。
誰かと出会うこと。
今日という一日を迎えること。
それらは決して当たり前ではない。
だから私は今でも、人の運命を見ている。
未来を当てるためではない。
人生という不思議な現象を、少しでも理解したいからだ。
そして、その探求の入り口には、
あの日の手術台の上で生き残った私がいる。
