人はなぜ回遊魚になるのか

占い師を20年以上やっていると、
「自分がどうしたいかわからない」という言葉を本当によく聞く。
昔の私は、この言葉をあまり真に受けていなかった。

どうしたいかくらい、
本人が一番わかっているだろうと思っていたからだ。
ところが、人間を観察しているうちに、
どうもそうではないらしいことがわかってきた。

どうしたいかわからない人には、
大きく分けて二種類いるように思う。

一つは、自分の内面との対話ができない人。
感情が先に動き、衝動で行動する。

なぜ怒っているのか。
なぜ悲しいのか。
なぜその選択をしたのか。
そういったことを振り返る習慣がない。

そのため、自分が何を望んでいるのかを言葉にできない。
本人も混乱していて、本当にわからないのである。


もう一つは、損得勘定が先に来る人だ。
このタイプは少し厄介である。
自分がどうしたいかは見えていることが多い。

ただ、その願望よりも「どうするのが得か」を優先して考える。

好きな仕事をしたい。
でも収入は減らしたくない。

自由になりたい。
でも責任は負いたくない。

あの人と一緒にいたい。
でも傷つく可能性は避けたい。

すると、物事は前に進まない。
同じところを泳ぐ、
2周目も同じところを泳ぐ、
また戻ってきて同じところを泳ぐ、
同じ軌跡を辿って、ただ泳ぐ。
まるで回遊魚である。

本人は、「自分がどうしたいかわからない」と言う。
しかし、私には少し違って見える。

どうしたいかわからないのではない。
全部欲しいので決められないのである。
損したくない人は、決断しないのである。
もちろん、それが悪いとは思わない。
人生は自由だ。

回遊魚として一生泳ぎ続けるのも、一つの生き方だろう。
ただ、その場合、「自分がどうしたいかわからない」ではなく、
「全部欲しいので決められない」が正確な表現だろう。

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