占い師を20年以上やっていると、
他人の悪意に気付かない人に出会うことがある。
なぜ、そんなに簡単に人を信じてしまうのだろう。
なぜ、目の前にある悪意に気付かないのだろう。

人間を観察しているうちに、
一つの仮説に行き着いた。
どうも、自分の中にある悪意を知らない人ほど、
他人の悪意にも気付きにくいようなのである。

どんな人間にも悪意はある。
嫉妬もある。
意地悪な気持ちもある。
人を利用したいと思うこともある。
見返してやりたいと思うこともある。
誰かの不幸に、ほんの少し安堵することもある。

それを認めたからといって、
悪人になるわけではない。
むしろ、自分の悪意を知っている人の方が、
他人の悪意も理解できる。
「ああ、人間にはそういうところがある」
と知っているからだ。
だから、人を必要以上に美化しない。
そして、自分だけを例外にもしない。

ところが、
自分は純粋で綺麗な人間だと思っている人ほど、
他人の悪意を想像できない。
そして皮肉なことに、そういう人ほど、
人の悪意を見つけた時に容赦がない。

激しく批判し、糾弾し、
自分がどれほど傷つけられたかを訴える。
まるで自分の中には同じものが存在しないと
宣言するかのように。

しかし、人間という生き物は、
そんなに綺麗にはできていない。
誰かの悪意を責める時、その刃の持ち方には、
その人自身の悪意も滲み出る。

私が時々覚える強い嫌悪感は、
悪意そのものではない。
悪意があるにもかかわらず、
それを自覚していない人間だ。

自分は善良で、
自分は純粋で、
自分はいつも被害者で、
自分の怒りは正義である。
そう信じている人間だ。

けれど、人間という生き物は、
善人と悪人に分けられるほど単純にはできていない。
自分の悪意を知っている人と、
知らない人がいるだけなのかも知れない。

そして私は、自分の悪意を知らない人より、
自分の悪意に自覚のある人の方が信用できる。

善人とは、悪意のない人間ではない。
自分の悪意に自覚のある人間ではないだろうか。

もし、自分は善人だと思っているのなら、
それは幻想ではないかと、
一度疑ってみることをおすすめする。

案外、その方が人間という生き物に対しても、
そして、自分自身に対しても、
少し誠実になれるような気がするのである。

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