最近、「私はHSPだから」という言葉を耳にすることが増えた。
私は、この言葉そのものを否定するつもりはない。
人には、生まれ持った気質がある。

刺激に敏感な人。
不安になりやすい人。
ストレスに強い人。

それぞれ違っていて当たり前だ。

ただ、時々こんなニュアンスで使われる場面を見かける。
「私はHSPだから、周りは気を遣ってください。」
そこに、私は違和感を覚える。

例えば、皆が乗っている車にも、それぞれ癖がある。
ハンドルが少し重い車もあれば、ブレーキが敏感な車もある。
それは単なる車の癖であって、良い悪いの話ではない。

しかし、
「私の車はブレーキが敏感なので、
周りの車は十分配慮して運転してください。」
とは言わないだろう。

自分の車の癖を知り、必要なら整備をする。
運転技術に不安があるなら、教習を受ける。
そうやって、自分の車と付き合っていく。

人の気質も同じではないだろうか。
HSPであること。
不安になりやすいこと。
繊細であること。
それ自体は責められるものではない。

しかし、その気質をどう扱うかは別の話だ。
一人では難しいなら、カウンセリングでも治療でも受ければいい。
専門家の力を借りることは、弱さではない。
自分の人生に責任を持つための、一つの方法である。

私は鑑定で、
「自分の機嫌は自分でとってください。」
と伝えることがある。
冷たい言葉だと思われるかもしれない。

でも、本当は逆だ。
自分の感情を他人に預けてしまえば、
その人がいなくなった瞬間に、自分の人生まで揺らいでしまう。
それでは、いつまで経っても人生の主導権を取り戻すことはできない。

気質は免許証ではない。免罪符でもない。

それは、自分という人間を理解するための説明にはなる。
しかし、他人に責任を預ける理由にはならない。
人生の運転席には、自分で座ろう。

人間を観察していると、人生を決めるのは気質ではない。
その気質と、どう付き合うかだと私は思う。

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