昨日「心がケチくさい人々」という記事を書いた。
お金の話ではない。
親切や思いやりまで損得で考え、
「自分ばかり損をしたくない」と
他人に与えることを出し惜しみする人たちについて書いた。
そして、書きながら思った。
この「心のケチくささ、恋愛ではもっと露骨に出るな」と。
「なんで私ばかり連絡しなきゃいけないの?」
「向こうから何もしてくれないなら、私だってしない」
「私ばかり頑張るのは嫌」
恋愛の相談を聞いていると、こんな言葉が出てくることがある。
私は、これを聞くたびに思う。
それで、どうやって恋人を作るのだろう?
好きな人ができれば付き合える。
出会いさえあれば恋人ができる。
そんなふうに考えている人は多い。
でも、私はそうは思わない。
恋愛は、誰にでもできるものではない。
正確に言えば「恋人を作ること」と
「ちゃんとした恋愛関係を作ること」は
まったく別の次元の話なのだけど。
恋人を作るという段階にすら至らない人がいる。
そういう人は、出会いがないとか、いい人がいないとか、
容姿が良くないとか、いろいろな理由を考える。
でも、ちょっと自分のことを振り返ってみてほしい。
あなたは誰かに好意を持ったとき、
どれくらい自分から動いているだろう。
ちょっと話しかける。
連絡してみる。
誘ってみる。
相手が喜びそうなことをしてみる。
相手が嬉しそうなら、自分も嬉しい。
恋愛の始まりなんて、そんなものだと思う。
ところが、心がケチくさい人は、
ここですでに損得勘定を始める。
「私から連絡するのは嫌」
「なんで私ばかり気を遣わなきゃいけないの?」
「こっちばかり頑張るのは馬鹿らしい」
これでは、なかなか始まらない。
恋愛というのは五分五分の関係が
最初から出来ているわけではないからだ。
最初は、どちらかが少し多く動く。
そのうち相手も動く。
また自分が動く。
そうやって、二人の関係が少しずつ出来上がっていく。
つまり、昨日の記事にも書いたように、
「返してもらう」のではなく「回していく」。
恋愛の入口にも、これがある。
もちろん、一方的に尽くし続けろという話ではない。
相手に利用されても我慢しろ、という話でもない。
ただ、まだ何も始まっていない段階から、
「私ばかり損をしていないか」と考えていたら、
関係が育つ前に終わってしまう。
そして、運よく恋人ができたとしても、
心のケチくささは消えない。
そのうち、
「私はこんなにしてあげたのに」が始まる。
これが出始めたら、かなり危ない。
「私はあなたのために○○した」
「私はこんなに我慢した」
「私はこれだけ尽くしてきた」
そして、
「なのに、あなたは何もしてくれない」となる。
これはもう愛情ではなく貸し借りだ。
「してあげたい」からしたことが、
いつの間にか「してあげたこと」になり、
相手への請求書になる。
愛情にポイントカードでも付いているのだろうか。
何ポイント貯まったら、
相手から何かを返してもらえるのだろう。
そんな恋愛は、あまり楽しくない。
そして相手だって、楽しくない。
誰だって、
自分の恋人から「私はこれだけしてあげた」と
言われ続けたいわけではない。
恋愛には、ある程度の余分が必要なのだと思う。
必要以上に話す。
必要以上に会う。
必要以上に気を遣う。
必要以上に相手を喜ばせようとする。
別に、それをしなければならないわけではない。
でも、「したい」と思う。
好きだから。
喜んでいる顔が見たいから。
それだけでいい。
そして、ここでもう一つ考えてほしい。
自分は、誰かに「この人ともっと一緒にいたい」と
思ってもらえる人間なのだろうか。
モテる人というのは、
必ずしも美人でも、若くも、お金持ちでもない。
一緒にいると、なんとなく気分がいい。
自分のことを喜ばせようとしてくれる。
こちらが何かをしたとき、素直に喜んでくれる。
ちょっとしたことを惜しまない。
そういう人は、強い。
逆に、
「そこまでする必要ない」
「私ばかり損したくない」
「向こうがしてくれないなら、私もしない」
と、何をするにも損得勘定。
これでは、恋愛の入口に立つことさえ難しい。
そんな人と恋愛したいと思う人が、どれくらいいるだろう。
愛されたいのなら、
まず自分が「一緒にいると嬉しい人」になればいい。
相手から何をもらえるかではなく、
自分は、この人に何をしてあげたいのか。
そこから始めてみればいい。
愛情は、貸しではない。
親切もサービス精神も、
いちいち回収するものではない。
返ってこなくてもいい。
恋愛だって、たぶん同じだ。
「私は損をしていないか」ばかり考えている人は、
恋愛のスタートラインに立つ前から、
もうブレーキを踏んでいる。
本人はそのことに気づかないまま、
「いい人がいない」と言う。
もしかすると探す相手を変える前に、
自分の心の有り様を少し変えたほうがいいのかもしれない。
